20191201

人間として生まれ、「欺瞞」と「矛盾」を抱えながら「生きる」ということは当然に苦しい作業だ。

だけどその「苦悩」こそが「現代」に生まれた人間の生の本質であり宿命だと思う。

苦しんで苦しんで、生きて自分の答えを見出せよ。

苦悩から目を背けて生きる連中の言う事にいちいち耳を貸す必要なんかないから。


『a little dream』


あの日見た夢。 


自習室を拠点に、教室と予備校の往復からなる、煌びやかなキャンパスライフとは無縁の大学生活だった。 志を持ってやっていたこととは言え、バイトやサークルを謳歌する周囲との対比に惨めになる時もあれば、「いま」という何にも代えがたい瞬間を代償に、 得られるはずの結果が中々ついてこない事に心はどんどん荒んでいった。


そんな日々を送っていた中、ある時気晴らしに立ち寄った紀伊國屋書店で吸い寄せられるように一冊の写真集を手に取った。 それは佐内正史さんの『a girl like you』という作品で、旬の女優のポートレイトを撮影した雑誌の企画が1冊に纏められたものだった。 古びた団地やありふれた住宅街の中で飾ることなく、しかしその強い存在感を内に秘めて輝く美しい女性の写真に思わず釘付けになり、静かにページをめくりながら 鼓動が高鳴ってゆくのを感じた。同時に、懐かしさや憧れのようなものが入り交じった複雑な感情が波のように押し寄せてきた。 


それからしばらくはちょっとした時間が出来る度に紀伊國屋書店に通っては、重苦しい現実の日々とは対照的に存在したこの「ファンタジー」の世界に 束の間の逃避を求める日々が続いた。一方で、それまで「記録」媒体として積極的に写真を楽しんでいた僕は、この経験を機に「作品」として確立する 女性のポートレイト写真というジャンルに強く惹かれ、友人にモデルを頼んではお遊びにしてもお粗末過ぎる写真を撮るようになっていた。 


結局、大学生活ともう1年を費やした夢は叶わず、辛うじて近所の税理士事務所に勤め先を得たものの、寝ても覚めても机に向かっては無味乾燥な時間を過ごすことに 辟易していた僕は僅か三ヶ月で職を辞することとなった。退職の理由を聞かれ、「好きな写真をやります」と答えたが、その後の自分の人生に何の根拠も計画も 持っていなかった。しかし、幸いなことにそれから一ヶ月も経たないうちに東京にカメラマンアシスタントの仕事を得、家も決めずに上京することとなる。 


人の運命は本当に分からないと思う。もし、あの時一冊の写真集に出会っていなければ今の僕は全く違った人生を送っていたかもしれない。 あの日受けた衝動が後に僕の運命を変え、紆余曲折経ながらもこうして一つの形になったということを人生の妙と呼んでしまえば簡単だが、 確かに人として生きていくという事はそういう事なのだろうと思う。僕は作品を脇にこの文章を書きながらそんな一連の体験をしみじみと振り返っている  。


最後に、僕の撮った女の子達の写真について少しだけ述べたい。この作品は2015年~17年の間に撮影したものだが、僕が当時撮影する上で重視したのは 鑑賞者との「感覚の共有」だ。鑑賞者が抱く心理的距離を手の届く範囲に留め、ある種の疑似体験、もっと言えば記憶のすり替えに近いような現象の内発を目指した。 そのため撮影場所は殆どが生活の延長線上にあるような住宅街や公園であり、特異な雰囲気を演出するような作り込みを写真に加えることもしていない。 加えて、撮影者の存在や撮影者と被写体との関係性を感じさせる要素も極力排除したつもりである。その時その場所の空気と光の中に確かに存在した女の子に向けて 静かにシャッターを切った、と説明すれば十分である。また、被写体として選んだ「可愛い女の子」という存在は、性別・世代を超えて憧れの対象となり得る、 普遍的な才能だと思っている。その才能はまた写真と結びついた時に、誰もが記憶の片隅に宿す思い出の女の子を呼び起こす装置となる。この作品を見た人が それぞれの憧れや思い出を複雑に絡ませ、胸がざわめくような感覚を覚えたとしたら僕は嬉しく思う。或いは、僕があの日見た夢と同じ夢を見る人はいるだろうか。




初雪の日


「雪だ!」


窓の向こう側にチラチラと舞い始めた初雪に真っ先に気付いた少年が歓喜の声を上げると、クラス中の視線は一斉に黒板から窓の外へと向けられ、教室が歓声に包まれた。小学校低学年の時の話。


しかし初雪は大抵積もりはしない。本格的な積雪となるとそこから更に1ヶ月程度待たなくてはならなかった。程なく溶けてしまった初雪はそれでも本格的な冬の到来を告げるには十分で、冷え込みが一層強まった朝一番の通学路には所々に霜柱が張った。


情緒や慈愛と言う言葉の対極に位置する小学生男子にとって、霜を踏み抜いた時に足裏から伝わる脆く儚い感触とザクザクバリバリと言う歯切れの良い音は最高のエンターテインメントで、毎朝誰にも踏まれていない霜を見つけては嬉々として踏み抜きながら通学路を蛇行し歩いたものだった。


夜の天気予報を確認し、翌朝の積雪を心待ちにするのは北国の子供の日課だ。「明日雪積もるかなー?」と言うやりとりはこの時期一体どれだけの家庭で飛び交うのだろうか。


そんな日々を繰り返しているうちにその日は確実にやって来る。目を覚まして窓の外を見ると見慣れた風景が銀世界へと変わっていた。




「雪が積もってる!」





…未だに雪は好きだが、その時味わった感動は今はもう味わうことは出来ない。新千歳空港に近づく飛行機の窓から見下ろす雪景色にも心の針が微かに振れる位だ。


冬の北海道で絵に描いたような雪遊びに勤しむ韓国人や中国人のカップルを目にして、無性に、あの雪に対する胸の高鳴りをもう一度味わってみたいと思った。

けれどもオトナになった僕には、それは恐らく今で言う所のスクラッチで5万円が当たった喜びに匹敵する位かなぁと想像するのが精一杯だった。






2005夏

北海道胆振東部地震から1週間が経ったある日、引っ越しを控え区役所に用事があると言う妹を車で送り、その待ち時間に母校へ向かった。区役所から歩いて10分程の場所に通っていた高校はあった。夏は終わったが秋が来てるとも言い難い、そんな中途半端な暑さの中、カメラをぶら下げて通学路を歩く。



高校3年生のある日の休み時間、僕は親友Jと校舎の窓から身を乗り出して話をしていた。会話の内容は覚えていないが高3の男子がする話と言えば下ネタか受験の二択だろう(そんな事はない)。大学受験が自分の「将来」を描く契機としてどの程度のインパクトを有するかは人に依るだろうが、受験期は少なからず未来の「在りたい自己」に想いを馳せる時期でもある。僕はふと、窓の向こう側で中庭の芝刈りをしているおじさんを眺めながらこう呟いた。


「あのおじさんは俺らと同じ年の時、将来草を刈っている自分を想像してたんかな?」 


今から数年前に広瀬某がこれと同じ様な発言をして炎上したのを覚えているが、何のことは無い「無敵の10代」が発するストレートな疑問だ。何も考えずに生きてきた普通の高校生が漠然と描く未来は少なくともこれまで通り「そう悪いはずはない」し、軽蔑の対象として見る「こんな大人」に自分がなることなど有り得ない話なのだ。「芝刈りのおじさん」も「音声さん」も親の庇護の下、世間知らずで「明るい未来」しか描けないバカな高校生の想像力を以て未来像とはなり得なかった。自分の未来は華々しく、待ち受ける「リアル」は生々しさを伴わない観念でしかなかった。

「してないんじゃね?わかんねぇけど。」

Jの一言でこの会話は終わり、程なくして鳴ったチャイムを合図に僕らは教室に戻った。


高校生活の中で記憶に残っている場面は幾つかあるが、中でもこの短いやりとりを時々思い出す。それは自分がその問いを発した瞬間に、それがいつか皮肉なブーメランとなって自分に返ってくる可能性を感じたからでもあった。休み時間で賑かな校内とは対照的に中庭に響く乾いた芝刈り機の音と、刈られた夏草から立ち込める青臭い匂いを今でも鮮明に覚えている。




確定申告

3時半。事務作業を一休みし、散歩に出る。

背中に夕陽をいっぱいに浴び、はしゃぎながら下校する小学生達とすれ違う。私の腰の高さ位しかない。心の中で「危ないおじさんだぞー」と呟く。

烏山川緑道を行く。梅が咲いている。道の脇には先日の雪や氷がまだ溶けずに残っていると言うのに。東京の春はもうすぐそこだ。.

普段通らない道を歩くと、今まさに取り壊されんとする木造アパート。○○荘という心踊るネーミング。窓が外されていて遠目に中を覗ける。アパートの周りをぐるっと一周し、刻み込まれた歴史に想いを馳せる。陽当たりもそこそこに暗く湿っぽい部屋には一体どんな人が住んできたのだろう。.

まいばすけっとでりんごとカップ麺と納豆を買う。QTTAのサワークリームオニオン味ですって。.

ポートランドカフェを通過する。アメリカはオレゴン州ポートランドにあるナイキの本社に勤めていたというオーナーが一年前に始めたお店。ポートランドの香ばしいコーヒーは勿論、自家製ワッフルがなかなか美味しいのだけど、金欠なので今日は匂いだけ。.

最後に太子堂安全センター、指名手配犯と行方不明者で埋め尽くされた掲示板を眺める。今も何処かで生きているのか。毎日何を思い眠りにつくのか。こんなはずじゃなかった。1番言いたくないセリフだ。他人事ではない。.

三軒茶屋は今日も平和で美しかった。さて、冷めきったコーヒーをレンジにぶち込み、確定申告もう一息。

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