『a little dream』
September 22, 2019あの日見た夢。
自習室を拠点に、教室と予備校の往復からなる、煌びやかなキャンパスライフとは無縁の大学生活だった。 志を持ってやっていたこととは言え、バイトやサークルを謳歌する周囲との対比に惨めになる時もあれば、「いま」という何にも代えがたい瞬間を代償に、 得られるはずの結果が中々ついてこない事に心はどんどん荒んでいった。
そんな日々を送っていた中、ある時気晴らしに立ち寄った紀伊國屋書店で吸い寄せられるように一冊の写真集を手に取った。 それは佐内正史さんの『a girl like you』という作品で、旬の女優のポートレイトを撮影した雑誌の企画が1冊に纏められたものだった。 古びた団地やありふれた住宅街の中で飾ることなく、しかしその強い存在感を内に秘めて輝く美しい女性の写真に思わず釘付けになり、静かにページをめくりながら 鼓動が高鳴ってゆくのを感じた。同時に、懐かしさや憧れのようなものが入り交じった複雑な感情が波のように押し寄せてきた。
それからしばらくはちょっとした時間が出来る度に紀伊國屋書店に通っては、重苦しい現実の日々とは対照的に存在したこの「ファンタジー」の世界に 束の間の逃避を求める日々が続いた。一方で、それまで「記録」媒体として積極的に写真を楽しんでいた僕は、この経験を機に「作品」として確立する 女性のポートレイト写真というジャンルに強く惹かれ、友人にモデルを頼んではお遊びにしてもお粗末過ぎる写真を撮るようになっていた。
結局、大学生活ともう1年を費やした夢は叶わず、辛うじて近所の税理士事務所に勤め先を得たものの、寝ても覚めても机に向かっては無味乾燥な時間を過ごすことに 辟易していた僕は僅か三ヶ月で職を辞することとなった。退職の理由を聞かれ、「好きな写真をやります」と答えたが、その後の自分の人生に何の根拠も計画も 持っていなかった。しかし、幸いなことにそれから一ヶ月も経たないうちに東京にカメラマンアシスタントの仕事を得、家も決めずに上京することとなる。
人の運命は本当に分からないと思う。もし、あの時一冊の写真集に出会っていなければ今の僕は全く違った人生を送っていたかもしれない。 あの日受けた衝動が後に僕の運命を変え、紆余曲折経ながらもこうして一つの形になったということを人生の妙と呼んでしまえば簡単だが、 確かに人として生きていくという事はそういう事なのだろうと思う。僕は作品を脇にこの文章を書きながらそんな一連の体験をしみじみと振り返っている 。
最後に、僕の撮った女の子達の写真について少しだけ述べたい。この作品は2015年~17年の間に撮影したものだが、僕が当時撮影する上で重視したのは 鑑賞者との「感覚の共有」だ。鑑賞者が抱く心理的距離を手の届く範囲に留め、ある種の疑似体験、もっと言えば記憶のすり替えに近いような現象の内発を目指した。 そのため撮影場所は殆どが生活の延長線上にあるような住宅街や公園であり、特異な雰囲気を演出するような作り込みを写真に加えることもしていない。 加えて、撮影者の存在や撮影者と被写体との関係性を感じさせる要素も極力排除したつもりである。その時その場所の空気と光の中に確かに存在した女の子に向けて 静かにシャッターを切った、と説明すれば十分である。また、被写体として選んだ「可愛い女の子」という存在は、性別・世代を超えて憧れの対象となり得る、 普遍的な才能だと思っている。その才能はまた写真と結びついた時に、誰もが記憶の片隅に宿す思い出の女の子を呼び起こす装置となる。この作品を見た人が それぞれの憧れや思い出を複雑に絡ませ、胸がざわめくような感覚を覚えたとしたら僕は嬉しく思う。或いは、僕があの日見た夢と同じ夢を見る人はいるだろうか。